SHOW-YAのボーカルの寺田恵子さん。
1985年から「SHOW-YA」の活動を開始して、30年以上が経っていますが、
2021年11月には世界進出を果たすなど変わらぬ人気を誇っています。
そんな寺田さんですが、一度はグループを脱退していた過去があるそうです。
SHOW-YAの寺田恵子の脱退理由は?
SHOW-YAは1985年にデビューしましたが、寺田恵子さんは1991年にSHOW-YAを脱退しました。
その理由は精神的に追い込まれてしまったことが原因と言えます。
「何もかも抱え込んでそれが重荷になって、精神的に追い込まれていたんですよ。
しかも何年も平均睡眠が3時間ぐらいなので、体もまいっちゃって。
でもツラいって言うと、“女だから”って言われてしまうから言えない」と精神的にも肉体的にも追い詰められた寺田は、「その行き着いた答えが私にとって、SHOW-YAをやめるってことだった」と脱退を決意。
引用元:https://www.oricon.co.jp/news/2043756/full/
とデビュー30周年の2014年にインタビューで答えています。
レコーディングで訪れていたロサンゼルスで事務所に電話をかけ、グループを脱退すると宣言していたそうです。
その後、SHOW-YAはボーカルをステファニー・ボージャスを迎えたものの1993年頃から活動が凍結状態となりました。
その後、ボーカルが再度、Yoshinoniに代わったものの1998年9月に解散しました。
SHOW-YA脱退後に寺田恵子は何をしていた?
NHKの「武内陶子のごごカフェ」で、SHOW-YAを脱退した後の心境についてこう話されています。
という心境でいたそうです。
寺田恵子がSHOW-YAを再結成しようと思ったのはカラオケとギターがきっかけ
寺田恵子さんはSHOW-YAに再結成しようと思ったのは、カラオケとギターがきっかけでした。
脱退後に友人とカラオケに行く
寺田さんと友人がカラオケに行った際に、友人が勝手にSHOW-YAの代表曲である『限界LOVERS』を入れてしまい、歌わされてしまうことになりました。
その時に「やっぱり(SHOW-YA)が好きだ」と涙が溢れ、再結成を決意します。
ギターを始めて自信がついた
また再結成した直後のインタビューで「SHOW-YA」をもう一度やりたいと思った理由について、ギターを始めて自信がついたことがきっかけだと言います。
自分がギター始めたのがきっかけかな。
自分が自信がない時は、SHOW-YAはできないと思ってたの。みんなにわがまま言ったりする方向にはいきたくなかったから。
ギターで弾き語りで歌を歌うようになって、私もみんなを引っ張っていける力を持ったかもしれないって思うようになったかな。
引用元:BARKS
脱退前は売り出し当時のアイドル路線からハードロック路線へ戻ったものの、セールスが伸び悩んでいたそうです。
セールスが伸び悩んでいたのは作詞をしている自分のせいだと思っていた寺田さんは音楽家の安藤芳彦さんに作詞を依頼し、7枚目のアルバム「Outerlimits」を制作。
結果として約60万枚のセールスを記録しました。
こういうこともあって、グループを牽引する自信をなくしていたのかもしれませんね。
寺田恵子はSHOW-YAの再始動に5年かかった
寺田恵子さんはSHOW-YAの再結成をバンド結成15周年の年に再始動したいと思い、メンバーに働きかけたものの、SHOW-YAが解散してから2年しか経っていなかったため、あっさりと断られたそうです。
とメンバーに言われたそうです。
それでも1年に一人ずつ説得するつもりで、頭を下げて回ったそうです。
ドラム(角田美喜)を自分のソロのレコーディングに呼ぼうとしたんだけど無理で、じゃあライブで叩いてくれない?って言ったらオッケーで。
で、二人で活動している間に、他のメンバーにライブ観にきてもらったりして。その時に、みんなが“二人楽しそうだね”とか言ってたから手ごたえは感じてた。
お酒の席で、さりげなく“再結成してみたりして?”なんて言ったりね。
それが二年くらい続いたかな。で、一年前くらいから実質的に再結成の打診を始めたの。
まずは、キーボード(中村美紀)に“できるかできないかは別にして、気持ちを知りたい”って言ったら、“うん、いいよー”って。
でも、ベース(仙波さとみ)とギター(Miki sun-go Igarashi)がなかなか首を縦に振らなくて。「うん」って言うまで半年もかかったの。
引用元:BARKS
ようやく再結成にこぎつけたSHOW-YAは、2005年に再結成を果たし、2021年には世界進出の第一弾となるアルバム「SHOWDOWN」をリリースしています。
みなさん還暦間際とは感じられないパワフルさで周りを今もファンを魅了してくれています。