宝塚音楽学校のご出身で俳優の天海祐希さん。
冴えないおばさん役から頭の切れる警察官役までこなしてしまう振り幅が非常にある実力のある方ですね。
そんな天海祐希さんの宝塚時代の伝説をまとめていきたいと思います。
天海祐希の宝塚時代の伝説がすごい!
天海祐希さんが宝塚音楽学校に在籍されていたのは、1985年から2年間。
宝塚歌劇団に在籍したのは1987年から1995年の8年間でした。
その間に数々の伝説を残してらっしゃいます。
天海祐希の宝塚時代の伝説1:首席で入学
中学校の先生に宝塚音楽学校の受験を勧められた天海祐希さん。
「宝塚だったら、芸事の全ての基礎を教えてもらえる」と受験を決意したそう。
無事、約17.5倍の倍率を突破して合格した天海祐希さんでしたが、入学前に合格者が集められた時に
「『ちょっと来て』って言われて、私なんか悪いことしただろうかと思って…そしたら校長先生いらっしゃって、係の方が『あなた1番で入ったんで、答辞読んでもらうから』って、『1番?』って消化できないまま」
引用元:スポニチ
とトップ合格したことを告げられたそうです。
試験に挑む天海祐希さんの華やかな容姿を見て、宝塚歌劇団の演出家植田紳爾氏は「お母さん、よくぞ産んでくださった」と感謝の言葉を口にしたそうです。
その後の天海祐希さんの活躍を考えると、首席合格も納得できますが、ずば抜けて才能があったのは入学前からあったということなんでしょうね。
入学試験時のエピソード
天海祐希さんは面接時に「もし落ちたらどうしますか?」という意地悪な質問を面接官からされたそうです。
その時に天海さんは
「もう二度と来ません」
と言い放ったそう。
カッコよすぎです。
天海祐希の宝塚時代の伝説2:わずか10ヶ月で新人公演の主演に
天海祐希さんは宝塚歌劇団に入団すると、わずか10ヶ月で新人公演の主演に抜擢されます。
宝塚歌劇団の新人公演は、入団7年目までの若手だけで行われる公演で、1年目のタカラジェンヌが主役を務めることはまさに異例中の異例だそうです。
この記録は未だに破られていないそうです。
ちなみにその時に初主演されたのは大劇場公演『ミー・アンド・マイガール』だそうです。
Amazonプライムで
— KAZ (@Kazuhiro221) May 23, 2021
月組「ME AND MY GIRL」
天海さんの破壊力、、、!!!#天海祐希#ミーアンドマイガール pic.twitter.com/cuoqnYrEki
宝塚の男役の魅力は実物の男より男らしさが魅力の一つとされていますが、
本当に惚れ惚れするほど素敵ですね。
天海祐希の宝塚時代の伝説3:6年半でトップスターに就任
天海祐希さんは月組に所属されていましたが、研究科7年目(6年半)でついにトップスターに就任します。
宝塚では「男役10年」というのがあって、立っているだけで男性として見えたり、男性の仕草や立ち振る舞いを違和感なくできたりするようになるには、約10年かかると言われています。
そんな男役に7年でトップスターに上り詰めることができたということは、すごいことです。
どれくらいすごいことかというと、天海祐希さんが退団されてから20年以上経っていますが、同じように研究科7年目でトップに就任した人は未だにいないということです。
ちなみに2019年で月組のトップスターを務めれていた珠城りょうさんは、研究科9年でトップスターになっています。
天海祐希の宝塚時代の伝説4:トップ在任期間2年で退団
天海祐希さんは、トップスターとして舞台に立ったのはわずか2年でした。
元々女優になりたくて宝塚に入ったということもあり、
早い段階で次を見据えていたのかもしれません。
トップ在任中には阪神淡路大震災もあって、退団を延期できないかという運営側の意向もあったそうですが、
ご本人の意思は固かったようです。
一番最初に演じた「ミー・アンド・マイガール」を再演することになり、
それがきっかけだったようです。
以前、「徹子の部屋」に出演されていたときにこう話されています。
色々な要素があったんですけど…
ちょうど後々こういうスケジュールになりますよ、と月組のプロデューサーの方に先々のスケジュールを見せていただいて、その時にちょうど2年後の12月がパァーと光って見えているような気がしたの。
それが自分が大好きだった、一番最初に大きな役をいただいた『ミー・アンド・マイガール 』というミュージカルを再演しようと思うと言っていただいて、
あっ、コレだ。
コレで私はやめようと思って、私コレで辞めますと言ったら、
プロデューサーが、「はっ?」
ここで辞めますと!
と述べています。
最近のトップスターは平均的に3〜4年くらい在任されているので、
天海祐希さんがいかに早いかということがわかります。
天海祐希の宝塚時代の伝説5:退団フィナーレに大羽根なし?
宝塚というと、男役トップスターがフィナーレに大きな羽根を背負うというのが慣例となっているようですが、
天海祐希さんはサヨナラ公演のフィナーレの時に大きな羽根を背負いませんでした。
これは天海祐希さんだけが目立ちたくなかったという本人の意向のようだと書いている記事がありました。
しかし、これには諸説あるようで…
羽根を嫌がっている天海さんが劇団側を説得して羽根を背負わずに降りた、と言う記載をよく見かけたんですが、これについてはちょっと違和感があります。
もしかしたら当時はそうだったのかもしれないんですけれども、そもそも退団公演は『ミー・アンド・マイガール』ってことでブロードウェイミュージカルなんですよね。
ブロードウェイミュージカルのフィナーレって羽根がないことが多い印象があるんですよ。
引用元:enjoy zikalife.com
そのためこの伝説には?という感じでしょうか。
ちなみに退団挨拶はこちらです。
画像が全部で3枚あり、右スワイプで見ることが可能です。
天海祐希の宝塚時代の伝説6:音楽学校のルールを変えた?
宝塚音楽学校は厳しい指導で有名ですが、
そのルールの一部を「天海祐希が変えた」という感じで伝わっているようです。
しかし、これについては天海祐希さんが「73期生みんなで変えた」と言及されています。
下級生の指導方針は同期全員で一緒に決めてその方針のもとに指導していくという段取りをとっているそうなので、必要なルールの選別を行ったのではないかと思います。
その一つに「予科ピンを廃止させた」というのがあるらしいです。
ちなみに予科ピンとは、男役の生徒はヘアピンで徹底的に髪の毛を抑えて固めることのようです。
2017年11月にファンが言及
2017年11月に放送された『ウチのガヤがすいません!』にて、
過去に宝塚で男役を務め、現在はアイドルとして活躍する彩羽真矢さんが、
番組内で言及されています。
男役は髪の毛が短いじゃないですか。髪の毛をピンピンはねないように、徹底的にヘアピンで何十本もつけて固めるっていう規則があったんです。
それが、宝塚音楽学校1年目の予科生って言うんですけど、「予科ピン」って言うのが規則だったんです。そのピンをつけなくていいって言う風にしたのが、天海さんとお聞きしまして。
73期生全員でやったことが天海祐希さん1人でやったことになるなんて、
さすが天海祐希さんという感じですね。
天海祐希の宝塚時代の伝説7:ファンに平等に接した
宝塚ファンには本来、格差があるそうです。
古いファンほど権利や特典を得やすくなっているそうですが、
天海祐希さんは退団する際にファンクラブ全員に感謝として、同じワイングラスを送っているそうです。
これには天海さんのお父さんの影響が大きかったそうです。
天海祐希の宝塚時代の伝説8:お茶会でファンに説教?
宝塚には「お茶会」というファンとの交流イベントがあるそうです。
モタモタしているファンに向けて一喝したという話がありますが、
これについては元ネタが不明なので、疑問符が残ります。
宝塚現役の時の天海祐希さんは、今でいう「塩対応」だったそうです。
それでも人気があるということは、ファンを平等に接したりするような限られた環境の中でファンサービスをしっかりとしてきたことなのではないでしょうか。
天海祐希のイケメンすぎる画像
天海祐希さんの宝塚時代の画像を集めてみました。
いや、本当に女性の好きな男性を体現されていて「かっこいい」しか出てこないです。
「天海祐希 宝塚時代」で検索したらイケメンすぎて沼だった。 pic.twitter.com/sPyDX7Wedg
— クマ子 (@Iwts_la) March 17, 2021
この画像は亡くなられた三浦春馬さんにも似ていると話題になりました。
この天海祐希様、最強に王子様してない???
— 黒 (@noir_noirmz) December 5, 2022
顔も所作も最強なんだが???
え、まじでくっそイケメンなんだが????? pic.twitter.com/PLzzgY8a9i
ちなみにセーラームーンに出てくるウラヌスのモデルになっていたことはご存知ですか?
ウラヌスは性格も顔もイケメンキャラですが、言われてみれば天海さんにそっくりですよね。
天海祐希の宝塚時代がイケメンすぎるのは周知の事実だけど、セーラーウラヌスのモデルになっていたとは。ちょっとセーラームーン見てくる… pic.twitter.com/RHAt5f1B3Z
— 泳 (@eieiyongswim) July 15, 2021